サブカルチャーと百合紳士

サブカルコンテンツを幅広く発信していくブログです。

サブカルチャーと百合紳士

【ウマ娘列伝】騎手に、ファンに、そして全ての日本人に愛されたオグリキャップ 前編

f:id:tomotrain:20181218161406p:plain

TVアニメ『ウマ娘プリティーダービー』公式サイトより

今年(2018年)の春に放送されたTVアニメ『ウマ娘 プリティーダービー』。

擬人化された馬=ウマ娘」というある意味で破天荒な要素を持ちながら、非常にドラマチックなストーリー性が話題を呼んだ。

登場人物は「スペシャルウィーク」をはじめ、歴代の競走馬たちがモデルになっており、物語の流れも実際の出来事に概ね沿った形で展開されている。

今後はアプリ版のリリースも控えており、ますます目を離せないコンテンツであると言っていいだろう。

そして私の気まぐれではじめた「ウマ娘列伝」シリーズでは、『ウマ娘』で登場したキャラクターたちのモデルとなった競走馬たちが一体どんな生涯を送ってきたのかを紹介したい。

彼らを知ることでより『ウマ娘』の世界を楽しめるはず!

今回は稀代のアイドルホース「オグリキャップ」について、競馬を知らない人向けに解説をしていこうと思う。

 

 

スポンサーリンク

 

 

オグリキャップを簡単に

オグリキャップは昭和の終わりから平成初期にかけて活躍した競走馬で、32戦22勝という素晴らしい成績を収めている。

地方の小さな競馬場から身一つで上京し、中央競馬の並み居る強豪たちを撃破していった彼は、いつしか「アイドルホース」として競馬ファンのみならず広く国民に親しまれる馬となった。

そのスター性や立ちはだかったライバルたち、後年の挫折と感動の復活劇など、彼にまつわる話題は尽きない。

 

<オグリキャップを語る上で欠かせない3つ>

・華やかとは言い難い出自

・ライバルたちとの死闘

・永遠の名馬となった有馬記念

 

生い立ち

三流血統

オグリキャップは1985年に北海道の牧場で生まれた。

オグリの父はダンシングキャップ、母はホワイトナルビーという馬。

しかしこの両親からはこれまでパッとする馬が輩出されていなかったため、当初の関係者のオグリに対する評価はお世辞にも高いとは言えなかった。

競馬はブラッド・スポーツである、と言われるくらいに競馬の世界では「血統」という要素が非常に重要視されている。

すなわち、よく走った父からはよく走る子が生まれ、あるいは優秀な遺伝子を秘めている母からは優秀な子供が輩出されるということ。

オグリの両親は現役時代・繁殖馬時代ともに目立った成績を収めていなかったため、必然的にオグリの評価も決まっていたのだった。

そのため彼が置くことになる拠点も、華の中央競馬ではなく岐阜県の笠松競馬場という小さな競馬場になった。

笠松の怪物

中央競馬とはJRAが管轄している競馬のことで、高い賞金や充実した設備を武器に一流馬たちをじゃんじゃん集めている。

規模も日本全国。

みなさんも聞いたことがあるかもしれない、「有馬記念」や「日本ダービー」などはJRAが主催しているレースで、日本最強馬と名高い「ディープインパクト」もJRAの所属だった。

一般的に「日本の競馬」と言ったら中央競馬のこと。

一方で地方競馬とは各都道府県の自治体がローカルに運営している競馬のことを言う。

基本的なシステムはJRAと同じだが、都道府県単位で行われているためJRAと比べてどうしても知名度は低い上、資金もない。

集まる馬のレベルもあまり高いとは言えず、野球に例えると中央競馬がプロ野球リーグに対して地方競馬が社会人野球クラスとなるほどに隔たりがある。

 

オグリキャップがデビューした笠松競馬場はそんな地方競馬の中でも最も貧しいところのひとつであった。

しかしオグリはこの笠松の地でその才能の片鱗を人々に見せつけることになる。

1987年5月のデビュー戦こそ2着に敗れるものの、その後はまさに連戦連勝。

翌1月にはその競走成績を12戦10勝2着2回までに伸ばした。

もはや笠松に敵なし。

そう考えたオグリ陣営は、満を持しての中央移籍を決意。

故郷に別れを告げ、オグリキャップは中央競馬の戦いへと身を投じていくことになる。

 

アイドルホースとして

中央への殴り込み

f:id:tomotrain:20181229010946j:plain

引用:https://prc.jp/jraracingviewer/contents/oguricap/

鳴り物入りで中央入りを果たしたオグリキャップの初戦は、阪神競馬場で行われたペガサスステークスという重賞レースだった。

「重賞レース」とは競馬のレースの中でも特に格式の高いレースの総称で、G3G2G1の3種類に区分されている。

中でもG1は賞金、馬のレベルともに最高峰のレースで、全ての競馬関係者はG1に勝つことを目標にしていると言っても過言ではない。

オグリの中央初戦となったペガサスステークスはG3の格式ながら、笠松時代のメンバーとは比べ物にならないくらいハイレベルな馬たちが集った。

「所詮井の中の蛙。中央のメンツには歯が立たない。」

レース前の下馬評は概ねこのような感じだったという。

しかし蓋を開けてみるとまさにオグリの独壇場。

直線に入ると楽な手応えで先頭に躍り出て、「これは噂に違わない強さ!」という実況に迎えられてゴールした。

オグリは中央競馬の舞台でもその力を見せつけたのだ。

その後もオグリの猛勢はとどまることを知らず、88年の10月末までに重賞をなんと合計6連勝。

こうして1988年の競馬界に「芦毛の怪物」は誕生した。

芦毛の怪物

芦毛の怪物。

いくつもの重賞を荒らし回っているオグリキャップを、いつしか人はそう呼びはじめた。

競走馬の多くは黒や茶色の馬体を有しているのに対し、オグリは「芦毛」と呼ばれる灰色の毛であった。

そのためレース中でも見分けが付きやすい。

目立つ馬体で競馬場を無類の強さで駆け巡るその姿は、次第に競馬ファンにとどまらず広く世間に知れ渡るようになり、やがてひとつの競馬ブームを巻き起こす。

また、これだけの強さを持ちながらも、同世代の頂点を競うG1レースへの出走が叶わなかったことも、オグリの中央での戦いの闘志に火をつけた要因かもしれない。

中央競馬には、クラシックレースと呼ばれる皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞の3つのG1レースが存在する。

これらはいずれも4歳世代(現表記で3歳世代)しか出られないレースで、中でもダービーは世代の一番手を争う戦いとして大きな注目を集める。

しかし、オグリは当時4歳だったにもかかわらず、これらのレースに出走することは許されなかった。

上記の3レースに出走するには、クラシック登録というものを行う必要があり、地方から出てきたオグリはその登録をしていなかったからだ。

地方の貧しい出自と、特徴的な馬体。

絶対的な強さと、クラシックへの未練。

これら様々な要素が、オグリを国民に広く愛されるアイドルホースへとのしあげた。

 

そして秋、オグリキャップはいよいよG1の舞台へと駒を進めることになる・・・。

 

中編に続く

 

中編

www.yuri-nikki.com

 

スポンサーリンク